« 君主号(くんしゅごう) | メイン | 印象主義、原始主義の音楽とロシア・バレエ団 »

アラウカニア制圧作戦

フランス人弁護士兼冒険家のオルリ・アントワーヌ・ド・トゥナンが「アラウカニアの王」と称し、マプチェ族の土地を中心に独立国家アラウカニア・パタゴニア王国建国を宣言したが、他国からの承認を得られるはずもなく、かえってチリ側に非合法国家の打倒という口実を与えてしまった。チリ政府はマプチェ族の土地を圧迫し、1880年代半ばから後半にかけてこれを占拠した。これは「アラウカニア制圧作戦」と呼ばれる。この征服の背景には、元々チリにとってマプチェの土地は自国のものだという1800年代後半の思想が根底にあり、さらにチリ人の人口増加がもたらす経済活動がマプチェとの境界線を圧迫し始めた点がある。さらに、当時ボリビア・ペルー連合に対する南米の太平洋戦争の渦中にあったチリは、戦勝のために大規模な常設陸軍の整備やライフル銃を始めとした近代兵器の自国内製造を実現していた。太平洋戦争終結とともにこれらの兵力はマプチェとの戦闘に投入された。さらに通信網の整備などもあり、マプチェ族は地理的に南北双方から、さらなる軍事力によって押さえつけられた。

バストアップ・フレグランス関連コスメグッツガイド
調査・内職関連ビジネスコーチサーチ
新築・仏壇関連ライフスタイルストア-情報
ドットコム健康・医療情報
飲料水・教材関連通販全国情報ガイド
セミナー・パソコン教室関連教育ランドネット
旅行・水族館関連旅の宿泊総合
コスメチック・しわ取り関連美容・コスメ総合
建売・信託関連ビジネスジャンプ総合
ポイント・養育関連ライフスタイルパートナー情報

激しい戦闘と外交交渉とを織り交ぜながら、チリ政府はマプチェ族の首長たちから彼らの土地をチリに併呑する同意を取り付け、条約を締結した。これには、マプチェ側にとって拒みがたい事情があった。長引く戦争の影響から飢餓と病気が蔓延し、ある報告によればかつては50万の人口を誇ったマプチェ族は25,000人まで著しい減少を見せていた[4]。この数字の推移には意図的な誇張が紛れ込んでいるとの主張もある。しかしながら、占領下に置かれたマプチェ族のかなりの比率が抑留され、農業や交易で成り立っていた彼らの経済活動はほとんどの地域で破壊され、彼らが所有していた大量の銀や宝石類を含む動産や不動産などの財産がチリ政府の国庫に納められるために没収され、さらに、アメリカ合衆国の「強制移住法」と同じような「reducciones」と呼ばれる一連の制度で縛られるに至り、人口減少数の信憑性云々に関係なくその末路は同じようなものだったと言えた。彼らは、追いやられ略奪され、極度の貧困に晒される結果となった。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.ixbfay.com/blog/mt-tb.cgi/616

About

2009年04月30日 13:29に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「君主号(くんしゅごう)」です。

次の投稿は「印象主義、原始主義の音楽とロシア・バレエ団」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35